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悠々川柳・平成15年

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正月は美しが丘の家で過ごした。秀明が近所のマンションを借りて自立したので、部屋が空き、家の中を片付けることができた。3階の屋根裏部屋は日が射すので、温室にして植物を越冬させることにした。シャコサボテンが咲き、食堂、玄関、台所まで花だらけだ。
テレビで日野原重明さんが、閻魔大王の前で、自分の為に使った時間と社会の為に使った時間を、天秤にかけられたら、殆どの人は自分の時間だけでひっくり返 る、せめて30度位にしたいと話された。同感だ。
屋根裏に 温室もある お正月<
暦より 正確に咲く シャコサボテン
自利と利他 天秤でバランス できるかな

季節の挨拶

最初に一身上のご挨拶をいたします。
私は、この正月で65歳になり高齢者の仲間に入ります。
このたび三菱重工業を完全に退職し、日本技術者教育認 定機構(JABEE)に勤務することになりました。科学技術創造立国を担う技術者の育成に、微力ながら奉仕する所存です。勤務と言いましても、週休3日の 高齢者勤務で、金曜日は原則として自由の日にしております。今後ともよろしくお願いします。

不思議なもので、晴れ晴れした気分がします。
暇があるので、ホームページをいじることが趣味になっていますが、「常識革命のインターネット」 として整理しました。H13年は20世紀の真相を「20世紀の広場」 にまとめましたが、H14年から「21世紀の広場」 を作って、世間とは一寸変った常識革命を訴えています。年寄りの生き甲斐といいますか、遊びです。
引退し 晴れ晴れした 日を迎え
引退し 脳内革命で 元気だし
引退し 常識革命に 意欲湧き
書初めに、「進歩史観」 を書いた。

新春ゴルフ大会(1月10,11,12)

ゴルフ会と懇親会で、新しい年を共に祝うことができた。
今年は、現役の力が台頭の兆しあり、飛距離では益々差を付けられた。私 は、いよいよ力を抜くことに徹しようと思っている。 

タービン翼の長さや、ガスタービンの二軸構造、風車の大きさなど、説明を聞いて恐ろしく感じた。技術力に感心した。 
日経ビジネスに、和田明広さんが「市場の声は聞くな、作るなら自分が惚れるもの」、またカルロス・ゴーンが「この国の脅威は内にあり」と言っています。 顧客歓喜(Customer Delight)の三菱原動機を作って下さい。 

            OBは 力抜く技 心得て
          OB
は 恐ろしくなる 新技術
 




                      三菱重工業原動機技術の関係者
 


林 宏先生を偲ぶ

1990年から9年間にわたって三菱信託銀行の社長、会長を務めた林宏さんは様々な新機軸を打ち出し、業界をリードする有言実行の信託マンだった。12月 16日没、71歳(日経)

SH会(瀬谷、林)ゴルフを年2回しますが、10月5日が最後になってしまいました。この時は林宏様が優勝されたのです。会の後、ダイアモンドプリンセス の件で謝りの手紙と「新職人論」、 「技術者教育」 を送りました。
そうしたら10月15日だったと思いますが、JABEE事務所にお電話があり、「本より、迫力があるねー」などと褒めていただき、長話をし たのです。林様はJABEEの良き理解者で、信託銀行の会長室で相談したり、教育に理解ある方を呼んで一緒に会食したり、応援して下さっていました。突然 逝かれ、信じられません。 

<手紙> 
ダイアモンド・プリンセスの火災事故では、直接損失のみならず三菱の信用を大きく傷つけたことを、深くお詫びしなければなりません。

物作りの原点は現場にあると思っておりますが、火災の発生と初期消火ができなかったことは、工場の体質を問われるもので言い訳ができません。誠に残念であ ります。私は、所長の先輩ですが、何の役にも立てず現役に頑張っていただくしかありません。悲しいことです。長船所長には次のように伝えました。 

「スペイン向けローター破裂事故、諫早魚雷工場の火災事故を経験しましたが、現場の人たちの済済とした取り組みのお陰で、勇気を得たことを思い起こしま す。火災の原因と初期消火ができなかった責任は現場にあることは間違いありませんが、現場の人達を信頼しなければ立ち直ることができないのです。長崎のよ き伝統は、良い仕事をする現場の人達の強い奉仕の精神の中にあるのですから、是非現場を信頼し、守って下さい。」 


          林 宏 先生

 

仲間を悼む

山崎義明君、瀬戸 章君それから文部科学省の岩根企画官が亡くなられた。我が身に置き換えて思うと、若くして逝かれた無念を、悼む。 

論語 に「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」というが、悟りを開くには、時間が必要だ。40歳前後 で自殺する作家が多いことから推測すると、20年も人生を考えると行き着くのかもしれない。我々、サラリーマンは仕事に追われて、60歳までは、人生など 考えるゆとりが無い。だから、80歳程度までの時間が要る。 

          あの世に も 忘れ得ぬ人 数が増え

 


黒船研究会(第 9回、2月23日、横浜開港記念会館)

横浜市開港記念館

金子祥三の蒸気船と蒸気機関(序論)を、代わって説明 した。長崎で聞いたり話したりしていたことを、アドリブで話した。

イギリスと日本の命運を決める、海戦が丁度100年おくれて戦われた。その100年の間に、ネーバル・ルネッサンスがあり、 帆船から蒸気に変った。オランダ海軍伝習所は丁度中間の時期であった。

1805年10月 トラファルガー沖の海戦
ネルソン提督がフランス・スペイン連合艦隊を撃滅
帆船が絡み合う接近戦だった
ネルソン提督は狙撃され 勝利と同時に戦死
英国の植民地帝国の覇権を決めた
ビクトリア号はポーツマスのドライドックに保存

1905年5月 日本海海戦
東郷平八郎 がバルチック艦隊を撃滅
石炭蒸気艦による砲撃戦だった
日本帝国の命運を開いた
戦艦三笠は横須賀に保存されている

1853年6月ペリーの黒船来航
オランダ商館長ドンケル・クルチウス
スンビン号(観光丸)艦長ファビウス中佐
幕府海軍の創設を提案
永井玄蕃頭フライイングにて製鉄所建設を依託
長崎造船所は、永井玄蕃頭のフライイングのお陰

1855年12月1日オランダ海軍伝習所開所
ペレス・ライケン団長 (のち海軍大臣)理論派
永井玄蕃頭総督
勝麟太郎 ほか
1857年ヤーパン号(咸臨丸)到着
3人の日本の恩人が乗船
カッテンディケ(のち海軍大臣)経験派 勝を感化
軍医士官ポンペ 長崎養生所開設 医学の礎
機関士官ハルデス 長崎製鉄所建設 長崎造船所の礎

幕府には長崎建設に反対意見があった
土地が狭隘で 製鉄が無い
江戸近傍または函館にすべし
だがオランダは長崎を押した
中国への経済地理に加え
良質の高島炭を評価
オランダ人に質問したりするため長崎に決った

1854年日米和親条約 下田開港
1858年安政五カ国条約(米・ 英・仏・露・蘭)
1859年箱館・横浜・長崎が開港 グラバーが長崎に
長崎開港 1571年大村純忠、キリシタン居留地
1870年グラバー商会倒産 経済は横浜に移った
(長崎は貿易が無くなり、造船所の町として繁栄)

石炭の話し

    1695年 高島で五平太は焚き火の下の石が
   
赤々ともえるのを見て腰を抜かした
   
1868年 グラバーが洋式化した高島炭鉱
   
蒸気動力 竪坑 ポンプ レール 巻揚機
   
坑道は海底に蟻の巣のように伸びた
   
日本の命運を決めた日本海海戦
   
良質の石炭のお陰で
   
バルチック艦隊を撃破したのだった
   
大正から昭和 日本が誇った戦艦霧島
   
乗組員1200人のうち缶焚きが600人
   
蟻のように石炭をくべたのだった

  金子さんに触発されて、蟻の石炭を書いた。
 


  ルネッサンスで最も変ったのは科学的になったこと 

1643年トリチェリ真空実験
1654年ゲーリケの空気ポンプ
1660年ロイヤルソサエティを創設
1624年専売法
1769年ワットの方法特許
(「火力発電の蒸気と燃料の消費を少なくする新しい手段」、それまでの特許は製品が対象だったが、方法特許で独占した。ワットは蒸気機関の発明者ではなく 改善者である。)


 
産業革命が始まっていた 

1713年ダービー父子 石炭 製鉄法を発明
炭坑の問題は排水だった
1698年セーヴァリ 最初の蒸気機関 鉱山用揚水ポンプ
1710年 ニューコメン 蒸気機関
1765年ワット シリンダーと冷却器を分離
1781年ワット 往復運動を回転運動に
1804年トレヴィシック 蒸気機関車運転
1814年スティーブンソン 実用蒸気機関車
1807年フルトン 世界初蒸気船クラーモント号ハドソン川

 

 

 

北海道旅行(5月15日~18日)

帯広空港に初めて降りた。帯を広げたように広い大地だ。牧草と麦とピート。牧草はロールにしてビニール袋に入れて積み重ねてある。牧草 を入れるサイロが要らなくなった。紫竹ガーデンでは、チューリップ、ムスカリなどが咲いている。チューリップが北国ではひときわ鮮やかにに見える。昔、オ ランダでチューリップバブルが起こり、たまねぎと間違って高い球根をかじって、「家一軒をかじった男」と言われたことがあったが、北国に来ると気持ちが分 かるような気がする。紫竹昭葉さんが平成元年に18,000坪の牧草地を購入してフラワーガーデンにした。 



 帯広は 帯を広げた 牧草地
 
帯広は 隣の家は 帯の端
 
北国は チューリップの色 鮮やかに
 
赤色が 心を誘う チューリップ


阿寒湖畔の阿寒ビューホテルに泊った。夜アイヌコタンでアイヌ民族舞踏を見た。アイヌの娘さんたちは美人だった。男性もごつごつした毛深い人は居らず、普 通の日本人だ。音を口の中で共鳴させる発生はモンゴルと同じだ。魂(スピリット)が共鳴現象であることを知っているようだ。踊りは単純で動物を真似る。ロ シアバレエの「白鳥の湖」のモデルは鶴だ、と西岡信雄さん(大阪音楽大学学長)が云われるように、鶴は踊る習性がある。つま先だったバレエは鶴そっくりだ が、アイヌの鶴の踊りは背をかがめて、白鳥がばたばたしているようだ。 

 

 アイヌコタン 魂に音が 共鳴し
 
踊っては 動物になる アイヌたち
 
鶴たちが 白鳥の真似 するコタン


バスは朝7:00発、阿寒岳が良く見える山道を抜けて、牧草地帯を900草原で展望し、摩周湖に行った。湖面は良く見えたが,44年前と較べて青色ではな かった。空が曇っているせいだろう。北海道に来たらゴミに注意させられるが、良いことだ。だがトイレが少ないのは困る。屈斜路湖を見下ろす道路を走り、藻 琴の芝桜公園に寄る。一人が始め、斜面全体を覆うようになった。北海道ではまだ蝦夷桜も咲いている。 



               

    芝さくら 山一面が ピンク色


オホーツク海岸に出て、網走海鮮市場で昼食。原生花園は未だ花は無く通過して、知床半島の知床五湖に行く。湖は沼のようで、湖面は霧にかすみ、水芭蕉が群 生している。熊が出るので、ガイドについて歩いた。羅臼岳(1661m)、硫黄山(1563m)、知床岳(1254m)が連なり、暖流(黒潮)の湯気が上 昇して霧や雨になる。ガスがかかるのは、室蘭、襟裳岬も有名だ。地下水が山上の盆地に湧出し,水温が高く冷たい外気で霧になり、幽玄な風景を作る。鹿は北 海道ではバスからしょっちゅう見かけた。木の皮をかじってるのは,数が増えて冬が厳しいからだ。ウトロ港から知床観光船で海から眺めた。ガスで羅臼岳など は見えず、切り立った岸壁を眺めた。縄文時代は海水位が2.5m高かったのだから、崖に浸食があるのは日本中どこも同じだ。カモメが飛んできて人から餌を 取る。船は満席で座れなかった。 



 山の上 知床五湖は 霧の中
 
熊を避け 声出しながら 霧の中




網走に戻り、網走刑務所は今では刑の軽い若者の厚生の場になっている話を聞いた。北見国道の脇には強制労働で道路建設に倒れた人の慰霊塚があった。私は、 網走に来たらモヨロ貝塚を研究するために、床屋になった米村喜男衛のことを思った。「新職人論」の一節、 

 モヨロ貝塚を研究した米村喜男衛 
 
考古学にこだわった 
 
網走に住むために床屋になった 
 
アイヌ文化の下に オホーツク文化を発見した 
 
オホーツク文化 
 
それはマンモスハンター 日本民族のルーツだ 
 
ついに モヨロ貝塚館と網走郷土博物館を作った
 


温根湯ホテルに泊った。温泉は立派で湯質が良かった。 
バスは朝7:30スタート、近くのつつじ公園、きつね村に寄って、層雲峡・銀河流星の滝を見る。つつじは環境のよいとこでは駄目だ。九重山の岩にしがみつ いた、みやま霧島と較べると見る価値が無い。きつねは、エキノコックス(寄生虫)が恐ろしいので近づきたくなかった。大雪山には雪があり、道端の川には水 芭蕉が群生し、鹿に良く会う。旭川を通って美瑛町のパッチワークのような丘陵地を眺め、富良野のラベンダー畑に寄った。十勝岳に雪があり美しい。雪は6月 中旬まで、ラベンダーが咲くのは7月からで両方は見れない。丘陵の景色が美しいので日本人が押し寄せる。欧米は大体こんなものだ。これに教会があれば欧米 の普通の景色だ。逆に、長崎でスワレスというスペイン人を案内したとき、彼が盛んに驚いたのは、日本の田んぼが平で、いきなり山が盛り上がっていること だった。また、サザエを見て貝が蓋をしていると言って驚嘆した。日本本土の水田は、河口の平野で、縄文時代は海底だったところだから水平だ。そういう景色 になれている日本人が丘を見て美しいと感じるのが美瑛と富良野だ。美瑛は写真家前田真三により有名になった。富良野のラベンダーは富田忠雄が先駆者で、 1975に国鉄のカレンダーに採用されてから有名になった。 



                     

 丘陵を 耕してたら 絵になった
 
写真家が 発見したあと 押し寄せる
 
根気良く 作りつづけた ラベンダー


山道を越えて、三笠ICから道央自動車道を札幌に向かう。この地帯は石狩炭田のあったとこで、炭坑住宅の跡と思われるのが目に付く。人口希薄な北海道を 走ってくると、本土に近い感がする。炭坑から夕張メロンに転換して成功した。札幌から約40分で、定山渓グランドホテルに着いた。温泉街を歩くと、河童の 像があちこち、足を湯につけて若者達が談笑している。ホテルの風呂は立派で湯質が良い。 

 移り行く 炭坑の町 ここにあり
 
石炭が 夕張メロンに 転換し
 
若者が 足湯友達 定山渓


バスは朝8:00スタートで、札幌へ。時計台と赤レンガ庁舎に行った。クラーク博士は僅か8ヶ月の滞在で、去るに当って「Boys be ambitious!」で有名だが、その続きの「Be ambitious not for money ---」が忘れられている。 

 

 マネーに アンビシャスなのは アメリカ人
 
日本では 金が嫌われ 忘れられ
 
青年よ 大志を抱け 純粋に


小樽に行った。好きなカラオケの「俺の小樽」に来た。北一ガラス、オルゴール館、など人の多さに驚いた。バンクーバーにあった蒸気時計が街角に立ってい る。札幌に戻り、千歳空港に向かう。空港のビルは良く出来ている。スピリット・オブ・セント・ルイス号が展示してあった。1927年リンドバーグが大西洋 を単独横断飛行したのはこんな小型飛行機だった。我々が乗ったジャンボ機は560人満席だった。 



リンドバーグ 一人で飛んだ 大西洋
観光は ジャンボに飛ぶ 560人

今回の旅行は、trapics想い出アルバム4日間、3泊とも温泉夕食つき、飛行機往復、バス(ガイド,添乗員付)で3万円。参加者はバス9台、毎日やっ ている。どうしてこんなに安く出来るのか不思議だ。遊びの経済活動は、安ければ幾らでも遊べる。これを活発にして経済 を維持すべきなのだ。

 

  安ければ 楽しい遊び 幾らでも
 
生きるには 満腹したら 腹一杯
 
安くして 遊びの経済 大規模に

人間は「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」と文化史研究家ヨハン・ホイジンガーが定義したと、教誓紀幸氏が日本機械学会誌に紹介している。
「人 間は慢性的にエネルギー過剰の状態にあるから、遊びによって、生きてゆくのに不可欠な量を超えた過剰のエネルギーを消費する必要がある。」

 

村上千佳ピアノリサイタル(5月28日サントリーホール)

魂とは振動共鳴現象との悟りを開いた。千佳ちゃん
のピアノは、共鳴現象そのもので、魂に直接響いた。

   魂の 共鳴振動 沸き起こり 
             
芸術ひたる 溜池山王の宵
                                                           
(村上 隆)



 

悠々川柳・平成21年

伊勢旅行(6月20,21日)

「日本コスト工学会」の合宿検討会が出光興産鳥羽寮であった。鳥羽では御木本幸吉記念館、真珠博物館に行った。何となく漁港の感じだ。 
御木本幸吉が真珠養殖に取組んだのが30歳、真円真珠に成功したのが47歳、こだわりの成果だ。だが苦労を共にし半円真珠に成功して喜んだ妻うめを38歳 の時亡くした。幸吉は1954年96歳の天寿を全うした。 

    一粒の 真珠の耀き 妻の霊(たま)

伊勢神宮に初めてお参りした。父清市は、晩年を広島県神社庁に勤め、毎年伊勢神宮からお札を戴いて神社に配り、代金を納めていた。伊勢神宮は造幣局のよう で資金が集まる。だから20年に一度の遷宮も続けられる。などと私は傍で思っていたが、父は敬虔だった。 
初めてお参りし、五十鈴川の清流、杉林、清楚な社に接し、不思議と心が静になるのを感じた。 
伊勢からの帰りの列車の中で、モーツアルトのレクイエムを聞いた。持統天皇などの心と重ね、不思議とよく通じた。 

  精神は 清き社と 伊勢の森
 
天皇の 子孫への思い レクイエム

 







悠々川柳・平成21年

人前結婚(9月27日)

姪の美帆ちゃんと福田尚人氏の結婚式が代官山のRISTORANTE ASO であった。友人にかこまれて和やかな祝福で、形式的でなく心があって良かった。若者の新しい感覚は頼もしい。

    人前で 祝福されて 嬉しそう

 美帆ちゃんはアメリカの高校から慶応大学で学んだコンピューターシステムエンジニアだ。父君も慶応だ。尚人君は慶応で学んだ経営コンサルタントで、慶応のテニス部の仲間が沢山集まった。我が家は家族でテニスをするので、テニスをする人は好きになる。名前が福田で同じになった。

    慶応 慶応 慶応  福田 福田 福田  テニス テニス テニス
 



 


 

悠々川柳・平成21年

原田耕作さん(9月30日)

日本技術者教育認定機構の設立の功労者である、原田耕作顧問(80才)とお別れの写真を撮った。JABEE事務局全員だ。500人を越 える審査員が動き、あらゆる分野の学会が取り組む。大学は改善に忙しい。大きな運動になった。 

   原田さん 技術者教育 伝道師



姫路城(11月9日)

芦屋市民センターで日本コスト工学会秋季大会があり、舞子の娘の家に泊った。初めて姫路城に入った。徳川家康の娘婿池田輝政が、 1601年から8年かけたが、外観の美しさで飾りと思っていたが、実戦を考えて築いている。広くて、あらゆる方向から弾が飛んで来そうで、とても辿り着け ない。一度も戦や大きな災害に遭うことなく奇跡的に生き残り、世界文化遺産になった。 

    家康の 思いが残る 白鷺城

 

姫路には娘一家の愛車、アルファードで行った。広島の長男のベンツワゴンと較べると、楽しい。トヨタがCustomer Delight で作った。ベンツは Customer Satisfaction に過ぎない。 

 

    トヨタ車は 顧客歓喜の 家族乗せ

 



 

 

 

 

ハワイの結婚式(11月27~12月2日)

姪のなつ美ちゃんと今泉良太氏の結婚式で、初めてハワイに行った。
オアフ最古のカワイアハオ教会は、牧師さんが丁寧で、独唱の歌声が美しく、日本からの多くの友人が祝福した。
パーティーの最後は慶応と早稲田の応援歌の大合唱。なつ美ちゃんはアメリカの高校から早稲田の理工学部卒だ。

   

                      

  朗々と ハワイのウエディング賛歌 共鳴し
 
ハワイでも やはり最後は 早慶戦


 


翌日ハワイカイゴルフコースで22人のコンペをした。良太君は慶応ゴルフ部で、日米大学対抗に出ている。雨が降ったり止んだりだったが、ベストグロスは、仲間3人が78,78,78で目出度しめでたしだった。我が家は、家内が91、私が94で花を持たせた。

    ハワイでは ゴルフのレベル 高くなり

 

   

                      

オアフ島一周、アロハディナーショー、サンセットディナークルーズ、ワイキキ散歩など楽しかった。ダンサーの男の子はサーファーのようで格好がいい。女の子は美人ぞろいで色の白い子もいる。学生かな。
クリスマスシーズンを迎え、カラカウア通りで高校生のパレードがあった。ビーチはきれいにしてる。ハナウマ湾では魚が人間を親と思っているらしく、一緒に泳ぐ。魚が疲れるので週に1日休みにしている由。ビーチに降りるにはインストラクションを受けなければならない。北端のタートルベイはサーフィンの大会で車がいっぱいだ。
ハワイマラソンには3万人走る。半分は日本からだ。遊びの経済活動が盛んだ。人間は、エネルギー過剰状態にあり、遊びで発散させる必要があるのは本当だ。

  楽しさで 人が溢れる ハワイかな
 
ハワイでは 遊びの経済 繁栄し
 


旅行は楽だった。たまプラーザと成田空港は直行バスで125分。JLグローバルクラブメンバーなので、特別ラウンジが使え、帰りはビジネスクラスにしてくれた。安い料金のツアーなのに得をした気分だ。 

ラスベガス・ゴルフ旅行(12月9~12月14日)

アルムカップ
アルムカップの特別賞が当った。兄弟夫妻6人で裾野CCで参加してるが、家内は別にして、夫人はブービーになることが多いが、一人は2回当てて、シドニーとラスベガスに行った。ようやく我が方に当った。参加してみると6回当った人もいた。賞だから安いゴルフ旅行と思ったが一流だった。ハワイ島、カナダもあるのでねらいたくなった。

    アルムカップ 初心者にも当る ゴルフツアー


プリムバレーGC

ラスベガスからロスアンゼルスの方に36マイルの、プリムバレイ・レゾート(カジノ)に泊った。砂漠の中で、近くに塩湖の跡がある。到着の翌日Desert Courseでプレイし、最後の日に家内と二人でLakes Courseをまわった。送り迎えしてくれて125ドルだった。ラスベガスはゴルフの適地でプレーする人が多くて高い由。バイユートGCは245ドルだ。スコアは95と96、家内が106と100だった。


   

                     

  グリーンと 空が澄んでる 乾燥地 
 
ゴルフでは 二倍も高い ラスベガス
 
 


グランドキャニオン

三日目にグランドキャオンに行った。朝5時40分ホテル発、小型機で岸の近くに着陸し、バスで案内してくれた。この日は天気がくずれ、雪になり後の飛行機はだめだった。38年ぶりだが、岸壁の周りは前と同じなのに感心した。
グランドキャニオンはコロラド川に削られてできたが、大地がゆっくり持ち上がり、川の水は同じ高さを流れている。岸壁の高さは1マイル、岸の巾は4~11マイル。22億年前の古い地層が現れている。ビジターセンターで科学的な説明があるかと思ったが無かった。赤いのは酸化鉄のせいだろう。
     

  あくまでも 自然のままの グランドキャニオン
 
見るだけで 説明しない グランドキャニオン
 
体で 感じて帰る グランドキャニオン


 


ラスベガス

毎晩ラスベガス観光に出かけた。ゴルフにしても、グランドキャニオンにしても、4時頃にはホテルに帰るので、夜の観光ができる。カジノは24時間で、部屋には冷蔵庫も無く出かけたくなるようになっている。ホテルのフロントもカジノを通らないと行けない。ロビーなど無い。だからお金はどんどん無くなる。

    一日が 二日三日の ラスベガス


ストリップストリート約4マイルに、巨大なカジノホテルが美しい。マンダレイベイから始まり、ルクソール、エクスカリバー、ニューヨークニューヨーク、MGM、モンテカルロ、アラディン、パリス、ベラッジョ、シーザーズパレス、フォーラムショップ、フラミンゴ、インペリアルパレス、ミラージュ、トレジャーアイランド、などが続きストラトスフェアータワーに至る。MGMの客室は6,000だ。少し離れたダウンタウンはアーケードの天井がイルミネーションショーをやっている。クリスマスプログラムだった。フォーラムショップの空は夜中でも青空だ。少し横にはなれたリオスイートのショーは人気だった。浜田の鉄板焼に歓声が上がっていた。モノレールを建設中だった。

 歩いては 回れないのが ラスベガス
 
空までが 夜が昼になる ラスベガス


ラスベガスは過去10年間で、85万人から156万人に、1.83倍に増えた。この間の個人所得の合計は2.38倍で、相乗効果がある。雇用機会が多く人口が増えつづけ、住宅建設が盛んだ。他に産業は無い。ネバダ州は消費税が7.5%で、住民税、所得税は無いとか。夜中に、カジノ従業員が交代するカジノラッシュが起る。
もともとラスベガスとは、スペイン語で「緑の草原」を意味し、数千人しか住んでいなかったが、フーバーダムの建設以後1930年代からカジノを公認してから成長した。コンベンションが多く、大学教授からポロ大会の農民まで皆なカジノを楽しんでいる。遊びの経済活動で成長した。遊びは立派な経済活動だ。藝術,文化は遊びなのだ。日本はもっと遊べといわれるのが分かる気がする。

  華やかに 遊びの経済 成長し
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